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東京地方裁判所 昭和52年(ワ)10052号 判決 1979年2月01日

原告

平川里以

被告

有限会社村田商店

主文

被告は、原告に対し、金九四万一、五五九円及び内金八四万一、五五九円に対する昭和四九年六月三〇日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は、これを八分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

この判決は、原告勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

原告訴訟代理人は、「被告は、原告に対し、金七一五万二、〇六二円及び内金六八五万二、〇六二円に対する昭和四九年六月三〇日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は、被告の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は、原告の負担とする。」との判決並びに原告勝訴の場合につき、担保を条件とする仮執行免脱の宣言を求めた。

第二請求の原因等

一  事故の発生

原告は左記交通事故により負傷した。

1  発生日時 昭和四九年六月二九日午後七時五〇分頃

2  発生地 東京都新宿区内藤町一番地先路上

3  加害車 普通乗用自動車(足立五五て四七八二号)

運転者 村田滋幸

4  事故態様 原告は、右道路(以下「本件道路」という。)の横断歩道(以下「本件横断歩道」という。)脇を横断歩行者用信号機(以下「本件歩行者用信号機」という。)の青色表示に従つて徒歩で横断を始め、途中で右信号機の表示が赤色に変わつたため急いで渡ろうとしたところ、前方不注視ないし本件道路の車両用信号機(以下「本件車両用信号機」という。)の赤色表示を無視して本件道路を走行してきた加害車に衝突された。

二  治療経過等

原告は、本件事故により、全身打撲、左鎖骨骨折、左骨盤骨折、膀胱炎の傷害を受け、本件事故当日から昭和四九年一一月三〇日まで一五五日東京医科大学病院に入院し、同年一二月一九日から昭和五〇年一〇月二三日までの三〇八日間実日数にして三三日同病院に通院し、昭和五二年一〇月に至るもなお天心診療所に通院して治療を受けているが、この間昭和五〇年一〇月自動車損害賠償保障法施行令別表後遺障害等級(以下「後遺障害等級」という。)九級に該当する後遺症を残したとの認定を自動車損害賠償責任保険(以下「責任保険」という。)関係で受けた。

三  責任原因

被告は、加害車を保有しこれを自己のため運行の用に供している者であるから、自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)第三条の規定に基づき、本件事故により原告の被つた損害を賠償すべき義務がある。

四  損害

本件事故により、原告が被つた損害は、次のとおりである。

1  入院雑費 金七万七、五〇〇円

一五五日の入院期間中一日金五〇〇円の割合で要した。

2  通院交通費 金二万円

3  休業損害 金一九七万五、一六七円

原告は、明治三六年三月二二日生れの女性で、昭和一六年夫と死別後、昭和二〇年まで裁縫女学校を経営し、昭和二一年からはとんかつ屋を、昭和四四年から昭和四八年一月までは麻雀屋を経営してきた者で、その後一たん茅ケ崎市で静養し、同年一〇月東京都新宿に居を構え、本件事故当時、再度麻雀屋を経営するため新店舗を探していたものであるところ、本件事故に遭遇しなければ、稼働し、本件事故当日から東京医科大学病院への入・通院期間中の四六三日間、労働大臣官房統計情報部編・賃金構造基本統計調査報告(以下「賃金センサス」という。)昭和五〇年度第一巻第一表、産業計・企業規模計・旧中新高卒・六〇歳以上の女子労働者の平均年収額金一五五万七、一〇〇円の割合による収入を下らぬ収入を挙げえた筈であるから、結局、原告は本件事故により金一九七万五、一六七円の休業損害を被つたことになる。

4  逸失利益 金二二〇万九、三九五円

原告は、本件事故による前記後遺症のため、労働能力の三五パーセントを喪失したものであり、本件事故に遭わなければ昭和五〇年一一月からなお四年間は稼働し、毎年前記平均年収額の五パーセント増である金一六三万四、九五五円を得ることができた筈であるから、以上を基礎とし、既応の二年分については中間利息を控除せず、続く二年間については新ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除し、原告の本件事故による逸失利益の昭和五〇年一一月の現価を算定すると金二二〇万九、三九五円となる。

5  慰藉料 金四四〇万円

入通院分として金一八〇万円が、後遺症分として金二六〇万円が相当である。

6  弁護士費用 金三〇万円

7  原告が本件事故によつて被つた損害額の合計は右1ないし6の合計額金八九八万二、〇六二円となるところ、責任保険から後遺症分として金一八三万円のてん補を受けたので、損害残額は金七一五万二、〇六二円となる。

五  よつて、原告は、被告に対し、右損害残額金七一五万二、〇六二円及び右金員から弁護士費用を控除した金六八五万二、〇六二円に対する本件事故発生の日の後である昭和四九年六月三〇日から支払済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

六  被告の主張に対する答弁

1  被告の過失相殺の主張事実中、加害車の速度は知らず、その余の事実は否認する。

2  被告の弁済の主張事実は、すべて認める。

第三被告の答弁等

一  請求の原因一項の事実中、1ないし3の事実及び原告が本件事故により負傷した事実は認めるが、4の事実は否認する。

二  同二項の事実中、原告が責任保険関係で後遺障害等級九級に該当するとの認定を受けたことは認めるが、その余の事実は知らない。原告の後遺症の事実の程度は後遺障害等級一二級一二号程度にすぎないが、原告の主張があまりに強いので、責任保険関係ではやむなく後遺障害等級九級一四号としたのである。また、原告は、本件事故以前から既に膝及び足をいためていた。

三  同三項の事実は、認める。

四  同四項1及び2の事実は知らない。同項3及び4の事実中、原告が明治三六年三月二二日生れの女性であることは認めるが、原告の職歴及び本件事故当時の事情は知らず、その余の事実は否認する。原告は、昭和四四年以来無職無収入で、本件事故当時既に七一歳の老齢であつて、一人住いであるから、その労働能力を家事労働としても経済的に評価できず、従つて原告には休業損害も逸失利益もありえない。仮に、これらを認めうるとしても、休業期間は通院実日数が僅か一九日であることに鑑みれば、入院期間中に限られるべきで、また、逸失利益の算定に当たり、後遺症の程度は後遺障害等級一二級とみるべきであり、更に、原告の年齢を考えれば、その労働能力は賃金センサスで評価すべきではない。同項5は争う。後遺症の慰藉料の算定は、後遺障害等級一二級としてされるべきである。同項6の事実は知らず、同項7の事実中、原告が責任保険から後遺症分として金一八三万円のてん補を受けたことは認めるが、その余の事実は争う。

五  被告の主張

1  過失相殺

本件事故については、夜間、幹線道路の横断歩道の一〇メートル脇を、本件歩行者用信号機の赤色表示を無視し、加害車の直前を、安全を確認せずに横断し、かつ、佗立していた原告の重大な過失がある一方、加害車を運転していた村田滋幸は、本件車両用信号機の青色表示に従い、時速四〇キロメートルないし四五キロメートルで正常に走行してきたのであるから、賠償額の算定に当たつては、原告の右の重大な過失が斟酌され、大幅な過失相殺がなされるべきである。

2  弁済の抗弁

被告は、原告に対し、本件事故による損害賠償として、入院治療費金一七六万四、九七五円、入院中の看護料金七八万五、三四〇円、コルセツト代金一万二、三〇〇円を支払つたほか、入院雑費、交通費及び慰藉料等として金二三万九、〇〇〇円を支払つた。

第四証拠関係〔略〕

理由

一  本件事故の発生状況

請求の原因第一項の1ないし3の事実(本件事故の発生事実)は当事者間に争いがなく、右事実に成立に争いのない乙第一号証ないし第三号証及び第九号証、証人村田滋幸、同中川雅照、同北迫利男及び同谷田部信行の各証言並びに原告本人尋問の結果(証人谷田部信行の証言及び原告本人尋問の結果中後記措信しない部分を除く。)を総合すると、

(一)  本件事故現場は、渋谷方面(南方)から四谷四丁目方面(北方)に通じる車道幅員一六・三メートルの環状四号通り(本件道路)にほぼ直角に設けられた押ボタン式信号機の付設された幅員四・三メートルの本件横断歩道の約四メートル渋谷寄りの四谷四丁目方面行車線上で、本件道路は、本件事故現場付近において、白線及びチヤツターバーにより四谷四丁目方面行車線と渋谷方面行車線に区分され、両側に歩道が設けられ、その車道沿いにはガードレールが設置され(本件横断歩道の前後を除く。)た直線で平坦なアスフアルト道路で、制限最高時速が五〇キロメートルと指定されており、本件事故当時、両側歩道上に約六〇メートル間隔で交互に設置された水銀灯が点灯されてはいたが、約八メートル間隔で植えられた街路樹の影響もあつてやや暗く、約三七メートル前方の人の動きが見える程度で、交通量は各車線とも毎分一〇台程度であり、横断歩行者は五分間に六人程度であつたこと、

(二)  本件横断歩道に付設された押ボタン式信号機は、本件横断歩道の東南隅及び西北隅にそれぞれ西側(内藤町側)からの横断歩行者及び東側(大京町側)からの横断歩行者に対面して設置された本件歩行者用信号機と、本件横断歩道の右両隅に、本件歩行者用信号機の各表示面と直角に(渋谷方面行車線については南北両方向に、四谷四丁目方面行車線については南方向に向け)設置された本件車両用信号機により構成されており、横断歩行者が右押ボタン式信号機の押ボタンを押した場合には、本件車両用信号機の表示は、直ちに黄色となり、四秒の黄色表示の後、最初の二秒及び最後の二秒の全赤を含め二八秒間赤色を表示し、本件歩行者用信号機は、本件車両用信号機の黄色四秒の表示と続く二秒間の全赤の間の計六秒間の赤色表示を経、一八秒間の青色、続く六秒間の青色点滅の表示の後、全赤二秒に続き、本件車道用信号機の青色表示に対応して赤色を表示し続けること、

(三)  原告は、本件事故時、実弟谷田部信行及びその妻(以下「谷田部夫人」という。)と、本件横断歩道南端から約一七メートル南方で東方から本件道路と交差する幅員五・七メートルの道路から本件道路の東側(大京町側)歩道に徒歩で差し掛り(谷田部信行、谷田部夫人及び原告のいずれも、高齢等で歩速が遅かつたが、原告は当時足をいため、特別に遅かつた。)、東側歩道を約一三メートル四谷四丁目方向に話し続けながら北進し、本件横断歩道の約四メートル手前(南側)付近からほぼ横断歩道沿いに、谷田部信行が先頭になり、原告と谷田部夫人が話しながらこれに続き、内藤町方面(西方)に横断をはじめ、原告がセンターラインを約四メートル越えた付近で四谷四丁目方面行車線を北進してきた加害車に衝突されたこと、

(四)  谷田部信行は、前記交差道路から本件道路の東側歩道に差し掛つた際本件歩行者用信号機が赤色を表示していることを認め、東側歩道を約一〇メートル北進したところで右信号機が青色表示に変わつていることに気付き、約三メートル北進後、原告と谷田部夫人を促しつつ横断を開始し、センターライン付近に至つたところ(原告と谷田部夫人は約三・五メートル後方を歩いていた。)対面の本件歩行者用信号機の表示が青色の点滅に変わつたことを認め、原告らに急ぐよう促して先に急いで歩き続け、西側(内藤町側)歩道の二、三歩手前で本件歩行者用信号機の表示が赤色になつたことを認め(従つて、青点滅の六秒間に約七メートル程度進行し、その歩速は時速四キロメートル強となる。)ながら渡り終え、ガードレールの外側の歩道に上り、振り返つたところ、原告と谷田部夫人はセンターラインを少し越えた付近を横断中で、約一〇〇メートル渋谷方面からは加害車が北進してくるのを認め、原告らに早く横断するよう再度促したこと、

(五)  村田滋幸は、時速約五〇キロメートルで加害車を運転し、本件道路の四谷四丁目方面行車線を走行し、本件横断歩道の約一四〇メートル手前の左カーブを抜け、直線部分に入り、本件横断歩道南端の約九三メートル手前で渋谷方面行車線側の本件車両用信号機の青色表示を、約八〇メートル手前で四谷四丁目方面行車線側の本件車両用信号機の青色表示を認め(従つて、本件事故発生時から遡り、村田滋幸が渋谷方面行車線の本件車両用信号機の青色表示を認めた地点から本件事故現場に至る約九〇メートルを走行するのに要した時間、すなわち秒速一三・九メートルで右九〇メートルを除した約六秒程度((なお、加害車は、この間、後記認定のとおり、急制動措置を採つている。))の間は、本件車両用信号機は青色を表示していたものと推認できる。)、そのまま四谷四丁目方面行車線のやや左側を走行し、本件事故現場の約三五メートル手前に至つた際、進路前方左側に人影(本件事故の関係者ではない。)を認め、進路を同車線の中央付近に変え、本件事故現場の約一七メートル手前に至り、はじめて原告が自車右前方を、谷田部夫人が自車左前方を横断しており、車線左端のガードレール付近に谷田部信行がいるのに気付き、原告と衝突する危険を感じ、急制動措置を採つたが、間に合わず、原告に自車前部中央付近で衝突し、原告を約二・六メートル前方に跳ね飛ばし、約二・三四メートル進行して停車したこと、

(六)  原告は、谷田部信行に従つて横断すれば安全と考え、横断開始後加害車に衝突されるまで、本件歩行者用信号機の表示を確めず、また、加害車が接近してくるのを確めもせず、極めて遅い歩調で(谷田部信行が本件歩行者用信号機の表示が青色点滅に変わつたことを認めた時点から本件事故までは、青色点滅の六秒間、続く全赤の二秒間及び村田滋幸が本件車両用信号の青色表示を認めた後衝突するまでの六秒程度の合計一四秒程度の時間が経過しているが、この間原告が歩行した距離は、センターライン付近までの約三・五メートル及びセンターラインから衝突地点までの約四メートルの合計約七・五メートルにすぎず、従つてその歩速は時速二キロメートル程度と推認できる。)横断し続けたこと、

以上の事実を認めることができ、証人谷田部信行の証言及び原告本人尋問の結果中右認定に反する部分は、前段認定に供した各証拠に照らし措信し難く、他に右認定を左右する証拠はない。

右認定の事実を総合し、原告の横断中の本件歩行者用信号機の表示状況を勘案すると、結局、原告は、青色の表示中に本件道路の横断を開始し、センターラインの約三・五メートル手前付近で青色点滅の表示に変わつたが、極めて遅い歩調で横断し続け、センターライン付近で赤色の表示に変わつたが、なお従前どおりの歩行を続け、センターラインを少し越えた付近で本件車両用信号が青色信号と変わり、その後六秒程度歩行し続けた後本件事故に遭遇したものと認められる。

二  責任原因

請求の原因第三項の事実は当事者間に争いがなく、右事実によれば、被告は、自賠法第三条の規定に基づき、本件事故により原告の被つた損害を賠償する責任がある。

三  原告の治療経過及び後遺症

成立に争いのない甲第二号証、第九号証ないし第一一号証及び乙第二九号証に原告本人尋問の結果を総合すると、原告は、本件事故により、頭部外傷、左鎖骨骨折、左骨盤骨折及び左膝蓋骨骨折等の傷害を受け、本件事故当日から東京医科大学病院に入院し、昭和四九年九月一〇日まで両下肢鋼線牽引を受け、同月二〇日から起座訓練、水中機能訓練を受けはじめ、次第に歩行訓練に移行し、同年一一月三〇日退院し、その後も左被護性跛行、腰部痛、左大腿から左下腿に至る放散痛が存したため、骨盤帯を使用するとともに投薬を受ける等して昭和五〇年一〇月二三日まで実日数にして三三日同病院に通院したが、昭和五一年三月一八日、自覚症状としては、約五分の歩行で左下肢の脱力と疼痛を生じ、時折頭痛を生じ、他覚所見としては、左鎖骨変形治癒、正座・胡座不能で、左骨盤骨折は変形治癒し、中・小臀筋の筋力低下が残存し、また、左股関節の運動障害(特に内旋は右四五度に対し左五度)及び左膝関節の運動障害(右一六〇度に対し左一二〇度)が残存するため、歩行により左下肢の脱力、易疲労性を生じ、右諸症状は、昭和五〇年一〇月二三日固定し、今後改善の見込がない旨の後遺症の診断を受け、昭和五一年七月二日、責任保険関係において、右は後遺障害等級九級一四号に該当するとの認定を受けたこと(なお、本件事故当時原告は左足をいためていたことは前記認定のとおりであるが、これが右後遺症に何らかの寄与をしたものと認めるに足りる証拠はない。)及び原告は、東京医科大学病院に通院したほか、同病院を退院した頃から昭和五三年一二月に至るもなお天心診療所に通院し、痛み止めの注射を受ける等していることが認められ、右認定を左右する証拠はない。

四  損害

よつて、以下原告の被つた損害について判断する。

1  入院雑費 金七万七、五〇〇円

弁論の全趣旨により成立の認められる乙第二五号証の一ないし一三及び第二六号証によれば、原告は、前記東京医科大学病院入院中の一五五日間、氷代及び補食費等の入院雑費として一日当り平均金五〇〇円を下らぬ支出をし、合計金七万七、五〇〇円を下らぬ支出をしたことが認められる。

2  通院交通費 金二万円

原告本人尋問の結果に弁論の全趣旨を総合すると、原告は東京医科大学院に実日数にして三三日通院した際、往復にタクシーを使用し、合計金二万円を下らぬ通院交通費を要したことが認められる。

3  休業損害及び逸失利益 金二四六万一、八四二円

原告本人尋問の結果成立の認められる甲第一二号証及び第一五号証、原告本人尋問の結果原告がかつて経営した飲食店(とんかつ屋)ののれんの写真と認められる甲第一三号証、同店の内部の写真と認められる甲第一四号証の三、四及び原告がかつて経営した麻雀屋の内部の写真と認められる同号証の一、二並びに証人谷田部信行の証言及び原告本人尋問の結果によれば、原告は、明治三六年三月二二日生れ(本件事故当時七一歳)の女性で、昭和一六年夫と死別後裁縫女学校を経営し、空襲で学校を焼失した後は昭和四四年までとんかつ屋を経営し、同店を廃業した跡に四階建のビルを建て、その二階で麻雀屋を妹の平川千代子と同女が中心となつて開業したが、同女が間もなく病死したため、原告が一人で経営を続けたものの、従業員との折合いがうまくいかず、原告も年を寄つたことからより小規模な麻雀屋の経営に切り換えることとし、昭和四八年一月従前の麻雀屋を廃業し、ビルを売却したうえ、麻雀用具を茅ケ崎市の谷田部信行方に保管して静養していたが、同年一〇月頃に至り、再度麻雀屋を開業する決意を強くし、再び東京都新宿区に居を構え、不動産業者、銀行等に相談しつつ店舗を探していたが、適当な値の店舗が見付からずにいた(この間は、ビルの売却代金等で十分生活できた。)ところ、本件事故に遭遇したこと、及び原告は、本件事故後も何らかの店を経営したいと検討していたが、結局、昭和五三年三月頃から姪の経営する飲食店の監督及び会計業務に携わることとなり、毎月金三〇万円の収入を得ることになつた(ほかに、同店に金二〇〇万円出資した配当として毎月金一〇万円を得ている。)が、出店時間は拘束されず、原告の都合等により出店しないことや早く帰宅することも自由で、そのことゆえに右金三〇万円が減額されることはないこと、以上の事実を認めることができ、右認定を左右する証拠はない。

しかして、叙上認定の原告の本件事故以前の稼働状況、本件事故当時の稼働意欲、稼働のための具体的努力及び本件事故後の具体的稼働状況並びに原告の年齢等を総合勘案すると、原告は、本件事故当時は無職であつたが、本件事故に遭遇しなければ、少なくとも昭和五〇年一月までには何らかの店を経営する等して稼働を再開し少なくとも、昭和五五年一〇月末頃までは稼働し続け、この間、毎年(各年とも前年一一月から当年一〇月まで)各年度の(昭和五三年以降は昭和五二年度の)賃金センサス第一巻第一表、産業計・企業規模計・学歴計・六〇歳以上の女子労働者の平均年収額、すなわち昭和五〇年は金一二〇万四、八〇〇円、昭和五一年は金一二五万三、二〇〇円、昭和五二年以降は毎年金一四六万六、八〇〇円を下らぬ収入を挙げえたものとみるのが相当であり、また、叙上認定の原告の傷害の部位程度、治療経過及び症状並びに原告の後遺症の内容・程度、原告の従前の職歴・本件事故後の稼働状況から推認しうる原告の職種等を総合勘案すると、原告は、本件事故により、その稼働能力を昭和五〇年一月から後遺症の固定した同年一〇月末までは平均して六〇パーセント、同年一一月から昭和五五年一〇月末までは平均して三〇パーセント喪失したものとみるのが相当であるから、以上を基礎として、昭和五〇年一一月以降の分についてはホフマン式計算方法により年五分の割合による中間利息を控除し、原告の本件事故による得べかりし利益の喪失による損害を算定すると、金二四六万一、八四二円となる。

4  慰藉料 金四〇〇万円

叙上認定の本件事故の態様、原告の傷害の部位及びその程度、入・通院状況、後遺症等本件弁論に顕われた諸般の事情を考慮すると、原告の過失を考慮しない場合における本件事故により被つた原告の精神的・肉体的苦痛に対する慰藉料は金四〇〇万円とみるを相当とする。

5  既払額等

原告が、被告から、本件事故に基づく損害賠償として、入院治療費金一七六万四、九七五円、看護料金七八万五、三四〇円及びコルセツト代金一万二、三〇〇円、合計金二五六万二、六一五円の支払を受けたほか、入院雑費、交通費及び慰藉料等として金二三万九、〇〇〇円を受領し(弁論の全趣旨によれば、原告は、右同額を本訴請求に係る入院雑費等に充当したものと認められる。)、また、責任保険から後遺症分として金一八三万円を受領したことは当事者間に争いがなく、従つて原告が本件事故によつて被つた総損害額は、前記1ないし4の合計額に右金二五六万二、六一五円を加算した金九一二万一、九五七円となり、原告がてん補を受けた総既払額は金四六三万一、六一五円となる。

6  過失相殺

しかして、前記認定の本件事故現場及び本件押ボタン式信号機の表示状況及び本件事故発生の状況等を勘案する、原告には、夜間、道路幅員の広い本件幹線道路を信号機付横断歩道によつて横断するに際し、歩行者用の信号機の表示に従つて横断すべき(道路交通法第七条参照)ところ、全くこれを意に介さなかつたため、横断開始後しばらくして渋谷方面行車線の中央を越えた付近で歩行者用信号機が青色点滅の表示を開始したにかかわらず(原告はここで引返すべきであつた。道路交通法施行令第二条第一項参照)、極めて遅い歩調で歩き続け、更にセンターラインを越えた付近で歩行者用信号機の表示が赤に変わり、続いて車両用信号機の表示が青色表示に変わり、その後六秒程度経過した間も通行車両の有無及び接近程度を確めることもせず、従前の歩調で歩き続けた重大な過失があるものといわざるをえず、その過失は原告の損害額の算定に当たり斟酌するを相当というべきであり、その過失割合は四割とするのが相当というべく、従つて原告が被告に対し請求しうべき損害額は前記総損害額の六割である金五四七万三、一七四円になるところ、原告がてん補を受けた総既払額は金四六三万一、六一五円にのぼるから、これを原告が被告に請求しうべき右金五四七万三、一七四円から控除する残額は金八四万一、五五九円になる。

7  弁護士費用

原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によると、原告は被告が前記金員のほか任意支払に応じないので、本訴の提起、追行を原告訴訟代理人に委任し、弁護士費用として金三〇万円の支払を約したことが認められるが、本件の審理経過、事件の難易、原告の前記損害額等にかんがみると、弁護士費用としては、金一〇万円をもつて本件事故と相当因果関係のある損害と認めるのが相当である。

五  むすび

以上の次第であるから、原告の本訴請求は、被告に対し、前項6及び7の損害合計金九四万一、五五九円及びこれから弁護士費用を控除した金八四万一、五五九円に対する本件事故発生の日の後である昭和四九年六月三〇日から支払済みに至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条及び第九二条の規定を、仮執行の宣言につき同法第一九六条第一項の規定を適用し、仮執行免脱の宣言は相当でないから付さないものとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 島内乗統)

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